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「冷血」

トルーマン・カポーティの「冷血」を読んだので
それについての感想(レビュー)を打ちこんでみたい。



あらすじ:

1959年、カンザス州の田舎村で殺人事件が起きた。
犠牲者はクラッター家の4人。家長であるハーブ(ハーバート)は村での
知名度が高く、また誠実な人柄が評価される農場主であった。その妻の
ボニーは精神的な病に苦しみ、ハーブに介抱されていた。その二人には
ナンシーとケニヨンという娘・息子がいた。娘は父親譲りの気性で人気が
あり、村のボビーという少年と交際関係にあった。彼女の弟のケニヨンは
まだ若いが、いずれは父親の跡を継ぐことになっていた。
クラッター家は幸せな家庭で、村の人々誰もが彼らに尊敬の念をそそいで
いた。そんな彼らがある晩、何者かによって散弾銃で殺害されたことに
村人は戦慄をおぼえる。いったい誰がこのようなむごたらしいことを
起こしたのか、と。

事件解決のために派遣された警察。その捜査陣の一人にデューイという男が
いた。彼は捜査陣のリーダー格であり、クラッター家とも関わりを持っていた。
彼はナンシーと恋人(ボーイフレンド)関係にあったボビーや、家族に恨みを
もつだろう者たちを当たってみるが、何の手がかりもない。また、どういう目的で
事件が起きたのかもわからない状況であり、捜査は困難を極める。

しかし、ある情報提供によって二人の人物が捜査線上に浮かび上がる。
ディックとペリーというのがその男たちの名前である。警察の懸命な捜査によって
二人は逮捕され、事件の全貌が明るみになる。

二人は強盗目的でクラッター家に押し入ったが、彼らが得られたのは50ドルにも
満たなかった。彼らは少額のために一家4人を殺害したのだ。それは世間に衝撃を
あたえ、やがて二人の容疑者は死刑となる……。




本作は作者曰く、
「ノンフィクション・ノヴェル」

捜査記録や当事者たちの証言を「物語」形式に綴ったものである。
作品は、クラッター家の生い立ちから死、殺人を犯し逃避行に及んだディックと
ペニーの生い立ちから処刑台に上るまでを記述していく。
内容はかなり深く込み入ったもので、「クラッター家殺人事件」をひとつのテーマと
しておきながら、そこに至るまでのドラマやその後のについて、かなりのページを
割いている。
文庫本の作品解説によれば、カポーティは本作を完成させるために5年余りの歳月を
かけ、調査用ノートは6千ページにも及んだそうだ。また、本作以降まったく作品を
書けなかったそうだ。



ここからは読んでいて気になった箇所を挙げていきたい。

神経を高ぶらせるもう一つの理由、もっとも単純で醜悪な理由は、
これまでは隣人や友人たちが和気藹々と営んできた共同体が、
突然、お互いに不信の目を向けあうという体験に耐えて
いかなければならなくなったことだった。

(P162)


クラッター一家の事件を知った村人たちの反応である。
それまで、事件の舞台となった村ではドアに鍵をかけたことがなく、
牧歌的で平和な営みを歩んでいたという。その安寧が突如として
破られたのである。しかも、殺された人間がただの村人ではなく、
有力者として知られる人物なのだ。

これを読んで、
デヴィッド・リンチが製作総指揮を手掛けた「ツイン・ピークス」の
第1話と第2話を連想した。もしかしたら、あのドラマの冒頭における
村人たちの反応はこの作品の影響を受けてのものだったのかもしれない。




「わたしは誰がやったかなんて、あまり
関心がないんです、なぜか、それは肝心な
点ではないような気がして。
わたしの友だちは死んでしまったんです。
誰が殺したかがわかったところで、
ナンシーが生き返るわけじゃありません」

(P175)


親友を失い嘆き悲しむスーザンが漏らした言葉。
彼女の言うとおり、たとえ犯人やその犯行の動機が判明し、
法的処罰を受けたとしても、死んだ人間は生き返りはしない。
だとするならば、犯人逮捕や法的処罰は死者に対してどれだけの
意味を持ちうるものなのであろうか――考えさせられる節である。


「死刑ってのは復讐ってことに尽きるが、
復讐の何が悪い? とても重要なことだ。
もし、おれがクラッターの縁者だったら、でなきゃ、
ヨークとレイサムが始末した連中の縁者だったら、
責任をとるべきやつが首を吊られるまでは、気が
休まらねえだろうな。」

(P604)


処刑台に立たされようとするディックが言った言葉がこれである。
だが、相方であるペリーはこう言った。


「こんな風に人の命を奪うのはひどいことだと
思います。道徳的にも法律的にも、死刑に価値があるとは
信じられません。おそらく、わたしにも何か役立つことが、
何か――」

(P612)



今の日本でも、死刑(極刑)の是非をめぐって論争が繰り広げられているが、
本当に考えさせられる問題である。

犯人を法的手段を用いて殺したところで、それで犠牲者がよみがえるわけではないし、
犠牲者の遺族が喜ぶともかぎらない。では、逆に生かすことになんの意味があるのか。
更生の機会を与えるとして、はたして犯人は更生するのだろうか。また、死刑囚が
食べるもの、彼らを収監する建物に使われるお金はそのモトをただせば国民の税金で
ある。
極論かもしれないが、犠牲者遺族の払う税金が死刑囚を、殺人犯を生かしている
ということなのである。
だが、だからといって犯人の命を奪うことができるか……。


この問題は突き詰めていくと「生命の価値」の問題に行きついてしまう。

テレビか何かの世論調査によれば、大多数の人が死刑を賛成しているのだとか。
私も死刑には賛成の立場なのだが、今回読んだ本などを読むと、ときどきそれが
「本当に正しいことなのか?」と考えさせられる。死刑には犯罪抑止の効果が
あるというが、最近では死刑になりたいがために凶行を起こす人間も増えていると
いう。そのような状況下においてはたして死刑は……。


これ以上考えるのは別の機会にしよう。



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黒 紅 茶

Author:黒 紅 茶
どこかの田舎っぺです。
ブログタイトルの“Of”は
飾りです。偉い人にはそれが
分からないのです(苦笑)
詳しくは「はじめに」を
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