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「阿Q正伝」

大学に行ったりなんだりしながら何冊か
本を読んでみたので、そのうちの何冊かを紹介したいと
思ふ。

ということでまずは魯迅の「阿Q正伝」


あらすじ:

ときは辛亥革命前夜の清。
未荘(ウェイチョワン)という村に、阿Qと呼ばれる男が
暮らしていた。阿Qの「Q」とは、彼の名前がはっきりと
分からないための仮称である。また、彼はどこの出身であるかさえも
謎である。彼はある神社の祠を住みかとしており、村で日雇いの仕事を
引き受けて暮らしていた。彼は村では最下層の存在であり、村人からも
差別を受けていたが、睨めつけ主義をはじめとする独自の思考法により、
自分を差別する者たちを敗北者とし、何の抵抗もしない自分を勝者のように
思い込んで生活していた。

あるとき、彼は村の有力者である趙家のある女性に言い寄ろうとしたために
家主の怒りを買い、さらには村八分によって日雇いの仕事を失うこととなる。
生活に困窮した阿Qはとうとう盗みを働くようになる。

みじめな暮らしを送る阿Qは「革命党」と呼ばれる集団の存在を知り、その
実態もよく知らないまま革命について騒ぎ始める。しかし、革命党員と思われる
者たちからもぞんざいに扱われ、ますます阿Qは村に居辛くなる。
それからまもなくして、村の有力者、趙家に何者かが強盗として入り込む事件が
起きる。犯人は革命党の一員と思われ、どういうわけか阿Qはその一員と見なされ
捕まり、弁解の機会も与えられないまま銃殺刑に処される……。









だいぶ端折った感があるけど、だいたいこんな内容である。





悲喜劇的な物語ともいえるが……読んでいてどうも痛々しい。

最初から最後まで、ほぼ、迫害された存在として阿Qの物語が進行していくのだが、
彼には見せ場といえる見せ場がひとつとしてない。最後なんかあまりにあっけないし。


ただ、ほんの少しだけ彼の立場が変わる場面がある。それは革命党という言葉の
登場である。

阿Qは“革命”という言葉の意味をよくわからないまま、その言葉を平気で
使っている。そして、どういうわけかその言葉を使いだした彼を、村人は
畏敬の念で見るようになっている。


まず、ここでひとつ予備知識としてマイノリティとして差別されている阿Qについて
考えてみたい。

彼が村人から白い目で見られる理由は以下の通りである。


1:家を持たず、仕事も不安定――死語でいえば、プータロー

2:偉そうなことを考えたり言ったりするわりには字が読めず、また書けない

3:容姿が醜い



ではどうして、村人は彼が「革命」という言葉を使いだしただけで彼への態度を
変えたのだろうか。





それはおそらく、阿Qも、彼をさんざん馬鹿にし差別してきた村人も大差ない
からだろう。


村人が彼への態度を変えたのは、彼が「革命」という言葉を使い始めたからだ。
では、革命とはどういう意味を持つ言葉であるのか・・・・・・?
実は、その作中において、その言葉にはあまり意味性がないのである。
意味は分からないが、なんとなくよさそうなイメージが先行しているのである。
そのイメージを村人は受け取り(=勝手に解釈)阿Qへの態度を変えたのである。

……村人も彼同様、無知なのである。



表面的な――字面や音の響き――ものに捉われ、本質を考えることなくはしゃぎ、
その挙句に阿Qは死んだのだ。




本作は、作品が書かれた当時の中国人を風刺した作品といわれているが、
私はこうおもう。ここで描かれる無知である意味、非情な村人たちは
ある時代の中国人ではなく、四千年以上の歴史を持つ中国人の種に対する
風刺――というより皮肉ではないか、と。






そう思える、そう考えるにいたった事例として文化大革命を挙げたい。
これについての具体的な内容は歴史書等を見ていただければすぐに
分かるが、簡単に、辞書的な言い方で説明するとこうである。


[文化大革命]

大躍進政策という政策の失敗で失脚した毛沢東が政権に返り咲くために
行った大規模な権力闘争。これにより国内は大混乱に陥る。



しかし、当時の下層の人々は次のようなものと捉えていた。
あるいは、こう教え込まれていた。


[文化大革命(毛沢東&四人組の弁)]

資本主義・修正主義を批判し、社会主義国家をつくろう。
そのために、資本主義者や修正主義者らを打倒しよう。



こんな感じである。これに呼応したのが紅衛兵と呼ばれる集団である。
彼らは毛沢東の狂信者で、毛沢東思想であらざるものをすべて否定し、
破壊していった。

紅衛兵とは、農民や労働者などの下層・非知識人によって
構成される民兵(実際は学生集団?)である。
資本主義社会・格差社会という観点からみれば、彼らは
いまでいうマイノリティである。
彼らは反革命思想と見なした対象を徹底的に攻撃してきた。
ここでいう反革命思想とはもともとは劉少奇らいわゆる修正主義者と
その思想であったのだが、いつしか矛先は富裕層やその愛好する文化、
果ては学問へと向けられ、多くの文化遺産や知識人が失われることとなる。

……文化大革命の正体というのは上に記したとおり、内部における
政争なのである。狂信者らは自分たちが政争のための駒であることを
知らずに各地で破壊活動を行っていたのだ。
これにより、中国では多数の死者が出て、経済成長も遅れることとなった。

すべては、
毛沢東が自己保身のために無知な若者を利用したことが原因である。が、
いちばんの問題は、ことの本質がなんであるかを考えず、英雄である
毛沢東が何か言っている――それだけで安易に乗っかってしまった、
雰囲気に流されてしまった当時の若者らにあるはずだ。

劉少奇と毛沢東、どちらが正しいかは考えればすぐ分かるはずだったのに、
若者たちは考えることなく毛沢東を選び、中国は混乱の時代を迎えることと
なってしまったのだから。






まさに阿Q正伝の物語――そこで描かれた“輿論”まんまである。
彼(阿Q)も革命という言葉がわからないくせに、その言葉に浮かれ、
いつのまにか強盗団の一味と疑われ、銃殺されたわけだ。



わたしたちは色々、言葉や考えを平気で言っている。だが、
よく考えてみよう。

わたしたちはどれだけそれらのことを考えたうえで
用いているのか。

表面的なことだけに捉われていながら、さも理解しているような体を
装っていないだろうか。




最近の日本でいえば原発である。

「安全神話」をとなえてきた国と東電に、連日、非難がとびかっている。
たしかに、嘘をつき大勢の国民を危険な目にあわせた東電と国は非難されて
しかるべきである。しかし、悪いのは国と東電だけか。彼らがいってきた
「安全神話」を信じてきた民衆は悪くないのだろうか。

よく思い出してみてほしい。原子力発電につかわれるエネルギーは
あるものにつかわれ、この日本のふたつの都市を破壊したではないか。
それだけでなく、大勢の被爆者を生んだではないか。そのような危険な
エネルギーの発電施設を、国民は(半ば?)受け入れたがために各地に
原子力発電が作られたのではなかったのか。



ちょっと古い例として郵政民営化&小泉改革をあげてみる。

最近の格差の原因は小泉内閣の政策にあるとか、郵政民営化はダメだとか
テレビや本でいわれているが、

小泉劇場を盛り上げた輩は一体誰であっただろうか???

小泉総理が小倉にやって来た時、伊勢丹(現・コレット)に集合した
あの民衆は何者であっただろうか???











……なんか、打ちこむのがダル~なってきたけれども、

ようは無知とは恐ろしいものなのだ。

だからソクラテスは「無知の知」という言葉を遺したのだ。


あれは決して、「無知であることはいいことだ!」という意味の
言葉ではない。
「知ったかぶりをしないで、知るための努力をしよう」というような
意味合いなのだ。

















いつも以上にグダグダになってしもたが、これでいいか(苦笑)

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黒 紅 茶

Author:黒 紅 茶
どこかの田舎っぺです。
ブログタイトルの“Of”は
飾りです。偉い人にはそれが
分からないのです(苦笑)
詳しくは「はじめに」を
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