スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「夜の果ての旅」

大学の友人W氏から勧められた本を読み終えた。

ルイ=フェルディナン・セリーヌ作、

「夜の果ての旅」について、これから感想を記す。



あらすじ:

アナーキー(無政府主義的)な思想を持つ青年バルダミュ・フェルディナン。
彼は友人のアンチュル・ガナートとパリのカフェで論争を繰り広げていた。
ときは第一次世界大戦さなかの20世紀初頭。

ほどなくして彼は兵士として戦線に赴くこととなる。
戦争に、人々を戦いに駆り立てる愛国心に、様々な思想という思想に対して
反発心を持っていたバルダミュは、生き残るために捕虜の道を歩もうとするも失敗、
負傷兵としてフランスに帰国する。

バルダミュは看護婦のローラとアバンチュールな時を過ごすこととなった。
彼女は名家の人間で、その縁故で良い暮らしを送っていた。バルダミュとは思想も
生活観もまるで違う女性である。バンダミュはそんな彼女と恋人関係になったのだが、
しだいに精神を病んでゆき、戦争による“恐怖”でついに発狂、精神病院行きとなる。

精神病院に入ったバルダミュは、ローラと決別する。彼はそこで、自分と同じような
人々、あるいはそれ以上に狂った人間模様を目撃する。彼は戦争に行きたくないがために
病院に留まっていたのだ。

やがて彼はアフリカに旅(=逃避)に出る。「ポルデュリエル商社」という会社で
働き始めるが、アフリカの地は、彼にとって安住の地とならなかった。

ニューヨーク・マンハッタンに辿り着いたバルダミュ。そこで彼はローラと再会するが、
彼女と一緒に暮らせるだけの気概も環境も彼にはなかった。自動車工場で働き、それなりの
生活手段を得るものの、彼は故国の地に戻った。

アフリカ、ニューヨークの地で様々な人間模様を目撃し、女性との情交を重ねたバルダミュは
フランスにもどり、医師免許を取得して先生となった。

彼は腐れ縁であるロバンソンと交遊を再開する。彼もバルダミュと同じようにアナーキーな
人間であった。だが、バルダミュと異なる点は、思考に留まることなく、それを行動に移しかえる
ことである。ロバンソンは犯罪者としての側面を持つ男であった。

エゴイズムに忠実なロバンソン、皮肉屋で医者のバルダミュ。

バルダミュはフランスでの生活で、人間の醜い面を嫌と言うほどみることとなった。
そして、彼に最悪の事態が起きる。ロバンソンが失明し、挙句の果てに狂乱した恋人によって
射殺されたのである。

それでも、バルダミュは生き残っていた。これからも皮肉屋として生き続けるのだろう……。
























こんな感じでまとめてみたが、正しい保障はまったくない。




















正直言って、難解な作品である。




観念小説か、といいたいほど主人公の思考が描かれ、登場人物が急に出たり、
消えたりしていてわけがわからなくなる。




一回読んだだけでは理解できない作品なんだろう。ドグラ・マグラのほうがまだ
別の意味でマシだったよ・・・。






まず、個人的な感想として、「面白いか?」そうではないかと問われれば、
この作品を他人に勧めることができるか、と問われれば、

間違いなく首を横に振るだろう。



私にはあまりに難しかった。





読んで、なんとなく気になったことを今からつらづらっと記してみる。






主人公の性格だが、ゴダール作品の登場人物みたいで、主張がぼんやりとしている。
バルダミュは人間社会のあほらしさをずっと語るのであるが、語るだけであって、
そこに展望といえるものはない。だから、彼は(しょせん)皮肉屋なのである。

それと対照的なのがロバンソン。
彼はバルダミュにとって批判の対象である。己の欲望のままに生き、他人にそうとうの
迷惑をかけてきたのだから。だが、彼こそが本質なのだろう。

バルダミュと違って、ロバンソンは理屈や観念倒れすることなく、行動を示した。

犯罪に走ったり、女を捨てたりとひどいことをするのであるが、彼の存在を、
現実に生きる人間のメタファーと考えると、納得できる。


この間の記事でもかいたが、人間という存在は元から腹黒い。
へいきで嘘をつき、へいきで人を傷つける。自分さえよければどうでもいいという
発想を持っている。もちろん、すべての人間がそうではないと想いたいが、
やはり、エゴイスティックな人間のほうが多い気がする。
かといって、エゴイストが悪かと問われれば、そうではないのである。




バルダミュは読者に対し、
ありとあらゆる物事の善悪について疑問符を投げかけているのではないか?





救いも、展望と呼べるものもまったくない、読んでいてむなしい物語であるが、
いろいろと考えさせられる。


夜の果てる日などありはしないのだ
(『世界の文学』P227より)


この作品における夜とはどういう意味だろうか。
人によってそれぞれ解釈が異なると思う。

私はこの単語を、恐怖とか制約といったしがらみの象徴と捉えることにした。
そうして、この言葉を通して、バルダミュは、作者のセリーヌは人間社会の
暗黒面を伝えようとしているのではないか、そういうふうに読み取っていった。




バルダミュの愛国心批判は、ヤン・ウェンリーが祖国である自由惑星同盟を
批判したものとまったくかわらない。

彼の批判は的を得たものだとおもう。
しかし、彼は文句を言うだけの不平屋に過ぎない。ロバンソンのように、何か
行動を起こすわけでもない。そこがもどかしい。

……いえることは、私はバルダミュのような傍観者にはなりたくないということだ。

彼は自分がまるで神であるかのように、社会の色々な事柄を皮肉を込めて批判していくのだが、
それだけで、彼には事態を良くしようとする誠意も、行動力もない。

社会に、世の中に必要なのは“行動する人”なのではないだろうか。
立派な考えを思考の中にいくら膨らませてみても、それを実行にうつし、実現しなければ
机上の空論である。



物語は、行動力あるロバンソンが死に、行動力の欠けたバルダミュが生き残ってしまった。
それがどういう意味を示すのか・・・。












日本の社会は、とくにネット社会は、バルダミュだらけかもな。
















・・・なんか、適当に書いているように思われてるかもしれないが、
この辺で本作品に対する感想めいたものを止めようと思う。


頭がパンクしてきた。もう少し、時間を空けて感想を記すべきだったなぁ(苦笑)

ブログランキング・にほんブログ村へ

(↑)皆さまの清き一票をどうか!!!

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

Secret

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

黒 紅 茶

Author:黒 紅 茶
どこかの田舎っぺです。
ブログタイトルの“Of”は
飾りです。偉い人にはそれが
分からないのです(苦笑)
詳しくは「はじめに」を
読んでくださいな。

↓↓ポチッとな↓↓
QRコード
QR
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
映画
531位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
レビュー
244位
アクセスランキングを見る>>
最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
お気に入りリンク集
Web page translation
検索フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。