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「隠された風景」

作家先生にはもうひとつ本を紹介された。
それが、福岡賢正の『隠された風景』である。

2000年9月~翌年の10月にかけて、毎日新聞の
西部本社版の文化欄で連載していたものを本としてまとめたものだ。

テーマはずばり“死”である。


本の内容:

野良猫・野良犬が死を迎える保健所、精肉工場の現場、
自殺者の遺書。

様々な死の現場を目撃した著者による渾身のルポルタージュ。




…たぶん、こう書き記すのが最もシンプルだと思うし、
他に言い表せるほどに私のボキャブラリーは豊富ではない。



著者だけではなく、多くの人々にとって、“死”はタブーとなっており、
誰もすき好んで触れようとはしないモノである。そのタブーに著者は
果敢に挑んだ。

彼は最初のほうでこう述べている。

生き物は必ず死ぬ。
例外はない。
(…中略)
無数の「死」があるからこそ我々の「生」がある。そして人が自らの「生」を
実感するのは、他者の「死」にふれた時である。その死と生活の場で身近にふれることが
できなくなったことが、「生」をかけがえのないものとして慈しむ契機を人々から奪って
しまったのではないか。

(P13)



世界屠畜紀行の著者が言っていることに近い気もする。
私たちは生き物を殺すさい、よく「残酷」という言葉を用いるが、その言葉を用いることで
命が散りゆくさまを、その命を吸収して生きているという事実を隠しているのではないだろうか。
「残酷」という言葉こそ、実はザンコクなのかもしれない。

我々は快適さのために、
身の周りから汚いもの、臭いもの、イメージの悪いものを
排除してきた。その最右翼が、「死」だ。

(P41-42)

著者は命を奪う事、動物を殺して食べることについてこうも述べている。

つまり、人が生きるために絶った他の生き物のいのちは、人の体の中で生き続け、
子孫に受け継がれてきたのである。
人が生きるために他の生き物のいのちを絶つことは「殺す」ことでは決してない。
自分の中で「生かす」ことなのだ。

(P127-P128)


これは、たぶん日本人独特のものだと思うが、

私たちは食事の前に、ほとんど必ずいう言葉がある。

「いただきます」

この意味は、自分以外の生き物を殺して、その肉を食らう事に対する
感謝と慈しみの言葉なのである。

だが聞くところによると、最近の家庭では「いただきます」という言葉を
言わなくなってきているという。それは、生き物の命を頂いているという
事実を忘れているということではないだろうか?




この本を読んだ後に、あなたは
「命は大切だ」とか、そういう言葉を簡単に言いだせるであろうか???

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黒 紅 茶

Author:黒 紅 茶
どこかの田舎っぺです。
ブログタイトルの“Of”は
飾りです。偉い人にはそれが
分からないのです(苦笑)
詳しくは「はじめに」を
読んでくださいな。

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