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「街の灯」

大学の映画論の授業でレポートを提出することとなった。
授業では前回、チャップリンの「街の灯」を鑑賞したのだが、諸般の事情で
出ることが出来なかった。レポートを提出しなければ、成績があぶない。
けれども、映画はみてない。そこで、

レンタルしました(笑)
こういうとき、THUTAYAて役に立つよね




ということで、チャールズ・チャップリンの『街の灯』を紹介したい。
と同時に、レポート用に提出する考察をあとに記すことにする。



あらすじ:

浮浪者(チャップリン)はぶらぶらと街をさまよっていた。彼は途中、盲目の
娘と出会う。娘は花を売って生計を立てていた。浮浪者は彼女に恋をする。
夜、川の近くで自殺をしようとする中年の男と会い、男を助ける。男は
金持ちの人間で、浮浪者のことを気に入った彼は、浮浪者を自宅に連れる。
意気投合した二人は酒を飲んで夜を楽しむ。

レストランから朝帰りをした二人。浮浪者は金持ちの邸宅の前で、昨日会った
花売りの娘と再会する。金持ちから金をもらった浮浪者は、娘から花をすべて買い取る。
目の見えない彼女は、浮浪者を金持ちの紳士と勘違いし、彼に敬意を抱く。そんな彼女を
車で家に送り届けた放浪者。彼が邸宅に戻ると、金持ちの性格は変わっていた。彼は
酔いによって性格が変わるのである。ついさっきまで浮浪者を友人としてもてなしていた
金持ちは、浮浪者を門前払いする。だが、酒に酔うと再び浮浪者を友人扱いする始末。

金持ちの邸宅から追い出された浮浪者は、花売りの娘へ立ち寄る。そこで、彼女が
お金に困っていることを知る。彼女と彼女の唯一の家族である祖母のため、浮浪者は
日雇いの仕事でお金を稼ごうとする。ランチタイムの時間、浮浪者は紳士の芝居をうって
娘の家を訪ねる。彼は娘が家賃を払えないために立ち退きを食らおうとしていることを
知って愕然とする。ランチタイムを終えて仕事場にもどった浮浪者であったが、遅刻したため
解雇される。失意のどんぞこの彼に、地下闘技場からの誘いが来る。ボクシングの試合に勝てば、
高額な賞金を手にすることができるというのだ。

浮浪者は試合に参加、奮戦するもあえなくノックアウト。賞金を逃してしまう。
夜の街をさまよう浮浪者は金持ちと再会。酒に酔っていた彼を邸宅に送った浮浪者は、
金持ちから大金をもらう。その金で花売りの娘を助けてやれというのだ。そんな二人を
襲う強盗。浮浪者は警察に通報し、強盗を撃退するが、酔いがさめた金持ちらから犯人扱いされ、
追われる身となる。

翌日、逃げ延びた浮浪者は花売りの娘の家に辿り着き、彼女に大金を渡す。
そして、浮浪者は街で張り込みを行っていた刑事に逮捕される。

秋になり、刑務所から出所した浮浪者は、みすぼらしい姿で街を徘徊していた。
彼からもらったお金で目を手術した娘は、祖母と街角で花屋を営んでいた。
彼女は浮浪者と目を合わせるが、彼が自分の恩人であることに気がつかなかった。
浮浪者の手を握り、娘はようやく浮浪者が何者であるかを知るが……。





チャップリンというと、コメディ役者というイメージがある。

たしかに、本作はコメディ要素をもつ作品であるが、とても切ない映画である。


彼が演じる役柄は浮浪者。浮浪者(あるいは乞食)は、
今日では社会的弱者とされ、その保護が訴えられているが、
チャップリンの映画が公開された当時は資本主義社会の全盛期。
失業者や浮浪者は社会の落伍者扱いされ、排除の対象とされていた。

チャップリンはコメディ役者であると同時に、平和主義者であり、
強者による弱者迫害に対して強い怒りを常に持っていた。
(後年の「独裁者」ではナチス政権の批判を、「殺人狂時代」では
戦争を批判していることからも彼のスタンスが分かる。)

 物語において、チャップリン演じる浮浪者は酔いで人格が変わる金持ちに翻弄される。
彼はときに友人であり、ときにチャップリンを排除しようとする悪者である。
彼こそは当時の社会において強い権力をもっていた
資本主義者(資本家)の象徴ではないだろうか。

冒頭の記念式典のシーンで、チャップリンは記念像の上で寝ているところを
参加者らに注意された。その場面で流れたのはアメリカ合衆国の国歌。

チャップリンは、
短い上映時間の間に当時の社会を牽引(=支配)していたアメリカと資本家を皮肉ったのである。


 チャップリンは金持ちの男に翻弄され、やがては無実の罪で刑務所送りとなる。
チャップリン演じる浮浪者がいくら真実を話したところで、
浮浪者である彼を信じる者など存在しない。

なぜならば、金持ちが強者であり且つ資本家の象徴であるのに対し、
浮浪者は強者に迫害され、抑圧される弱者の象徴なのである。

現実の不条理を浮き彫りにしなければならないゆえに、チャップリンは逮捕されるのだ。

 そんな彼は、盲目の花売りの娘に恋をしていた。
浮浪者はこの娘のために奔走するのであるが、目が見えるようになった彼女は、
はじめ浮浪者が自分の恩人であることに気がつかなかった。

浮浪者と娘の再会の場面で、浮浪者が落とす花びら。それは、
浮浪者の恋が叶わぬことを表わすものではないか。

やっとのことで娘が浮浪者の正体に気付き、物語は幕を閉じるが、
そのラストシーンで流れた音楽は、どこか切ないものであった。

それも、恋が花びらのようにはかなく散ったことを象徴するものであると確信する。



 本作の原題は“City Lights”。
直訳すると「街灯たち」となる。

物語を見れば分かるが、本作は複数の登場人物の織りなす群像劇である。
それが、邦題では「街の灯」となっている。邦題を考えた人物は、
チャップリンに観客の焦点を当てるために、単数形のタイトルにしたものと考える。

とはいうが、海外の映画では群像劇には複数形の“s”がついているように
思えるのだが、英語にくわしいかた、ご教授お願いします♪





では、なぜ本作の題名は“City Lights”なのだろうか。 
その意味は街灯について考えれば明らかとなる。


街灯が点くのは夜のわずかな時間である。
朝になると消え、また夕方になると点灯する。

その変化は、酒を飲むと優しくなり、
酔いが冷めると態度が一変する金持ちのようである。

また、いつかは冷めてしまうロマンス(恋愛)のようにも感じられる。
本作のタイトルは、変化していく登場人物の流れを示したものではないだろうか、と思う。


恋は一時の幻想である。やがては消えてなくなる。
街の灯が点いては消えるように。チャップリンの恋も、
花売りの娘が光を手に入れた途端、終わりをつげた。

「街の灯」は、浮浪者のはかなさなのである。
花びらとともに散った浮浪者の恋。最後のシーンのあと、
きっと、浮浪者は何事もなかったかのように、娘から離れていったのだろう。

この映画を観終わって、幸せな未来を手に入れる浮浪者の姿を、誰が想像できようか。






救いがあるような、ないような作品である。
私もいちおうある人に恋をしているが、チャップリン演じる浮浪者と同じ結末を
迎えそうな気がする。それは弱気かもしれないが、恋とは難しい。






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詳しくは「はじめに」を
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