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「八日目の蝉」

角田光代の『八日目の蝉」を読んでみた。映画化もされた作品であるが、
原作も映画版もみたことがない。まったくの未見というわけだ。
今回はその紹介と感想をやってみる。





あらすじ:

1985年2月のある日。
OLの野々宮希和子は、愛人だった秋山丈博の家に侵入する。彼と彼の妻との間に
生まれた子供を一目見るためであった。希和子は秋山の子を宿していたが、彼に
迫られ中絶したのである。心の傷を抱えていた彼女は、衝動から秋山の子を連れ去って
しまう。希和子は連れ去った子供に「薫」という名前をつけた。それは、本来ならば
希和子が自分で産むはずの子供の名前であった。

彼女ははじめ友人の家に隠れ、それから赤ん坊とふたりで各地を転々。
やがてエンジェル・ホームという施設にたどりつく。そこは女性だけで
構成されるボランティア団体で、様々な事情を抱える者たちが住んでいた。
誘拐犯として逃げ続ける希和子にとって、社会から離れたこの環境は楽園と
いうべきものであった。彼女はそこで薫とともに二年近く生活する。

二年後。
エンジェル・ホームは、その閉鎖性からマスコミのバッシングを受け、
警察の捜査対象となりつつあった。危機感を募らせていく希和子。そんな彼女は
一緒に団体に入会した女性である沢田久美の故郷、小豆島へと逃げる。
はじめ希和子は久美の母を頼るも、見ず知らずの他人である彼女が簡単に
受け入れられるはずはなく、住み込みでラブホテルの清掃をやることとなる。
そんな彼女を見かねて、久美の母はラーメン屋での働き口を彼女に与える。
都会から離れた世界。幸せなときを過ごしていた希和子と薫であったが、
ある写真から二人の居所が知れ渡り、やがて希和子はかけつけた警察に逮捕される。

それから時は流れ、2005年。
希和子によって誘拐され「薫」として育てられた秋山の子、秋山恵理菜は
大学生となり、アルバイトをしながら独り暮らしの日々を送っていた。
彼女は自分が誘拐事件の被害者であり、事件の影響で長い間、マスコミや周囲から
奇異の目で見られたことを知っていた。そのために家族との関係はぎくしゃくしており、
また彼女自身も傷つき、「なぜ自分が誘拐されたのか?」とことあるごとに自問自答していた。
そんな彼女には岸田という男がいた。男は妻子を持つ身で、恵理菜はその愛人だった。
彼女は、自分を誘拐した希和子と自分が、血が異なるにもかかわらず同じ体験をしていることに
思うところがあった。岸田との関係を断ち切りたい思いを持ちながら、その逆の思いも
秘めていた。悩みながら暮らす恵理菜。彼女の前にひとりのジャーナリストを自称する
女性があらわれた。名前は千草。エンジェル・ホーム時代の知り合いだった。

千草はエンジェル・ホームの問題や恵理菜の事件についての記事を書くために調査を
行っていた。恵理菜の前にあらわれたのも、そのためである。他人である千草に対し、
恵理菜は構えた態度をとっていたが、やがてその態度は軟化していく。恵理菜もまた、
過去の事件に興味を持つようになっていったのだ。そんな彼女に転機が訪れる。
愛人である岸田の子を身ごもったのだ。両親と岸田にその事実を告げた恵理菜は、
千草とともに小豆島へ行くこととなった。誘拐犯であった希和子が逮捕された
最後の逃亡先であった。誘拐された当時のことを何も覚えていないはずの恵理菜は、
自分がかつてこの島で暮らしていたことをぼんやりとながらもおぼえていた。
旅のなかで、彼女は様々なことに思いをめぐらし、そして……。












本作は文庫本の解説でも評されているように、フェミニズム色の強い作品と
いえるだろうと思う。

登場人物のほとんどが女性である。また、登場する女性たちはみな
バイタリティに富んでおり、ひとりひとりが様々なドラマを抱えている。
本作には少なからず男性が登場する。しかし、本作のおける男性の立ち位置は弱い。
希和子を中絶させた秋山も、恵理菜をほしがりながらも妊娠の話でおじけずく岸田も、
そのどちらも情けない人間である。彼らが情けないが故に、登場する女性たちが
たくましく見えるのも事実である。



物語の主人公である希和子は犯罪者である。しかし、犯罪者である以前に
被害者でもあった。彼女のバックボーンを知るがゆえに、物語を追う読者は
彼女を犯罪者ではなく、ひとりの女性、ひとりの「母」として見ることとなる。

彼女は「母」ではない。彼女は誘拐犯である。彼女はさらった赤ん坊を
自分の娘のように育てたが、子は秋山夫妻の長女なのである。
しかし、秋山夫妻以上に希和子は母親的存在であった。

後半の主人公である恵理菜によっても語られているが、彼女の実の両親である
秋山夫妻は、ほんらい人の親になるべき人間ではないのだ。親であるにもかかわらず、
親としての役割を発揮できない悲しい存在なのだ。そのために、誘拐犯である
希和子のキャラクター性が強調される。彼女は恵理菜を生んではいないが、
まちがいなく「母」なのである。17年経過してもなお、恵理菜の心に
ぼんやりと残る存在なのだ。恵理菜は、その母の面影を胸に、母親となる道を
えらぶのである。そして、恵理菜の「母」であった希和子は、そんな彼女に
未来を感じて物語は終わる。物語は、二人が再会しないまま終わりを迎えている。
だが、直接的な再会をしなくても、17年もの間会っていなくても、二人には
通じるものがあるのである。それを「愛」や「親子の絆」という言葉で定義すると、
どこか嘘っぽく聞こえてしまう。


被害者、加害者、犯罪……。
そのような枠組みはこの物語には存在しない。
ただ、二人の母と子の物語が記されているだけである。
暗く始まり、明るく終わる物語。



本作は井上真央と永作博美を配役に迎え映画化。
高い興行収入をおさめ、日本国内の映画に関する賞で高く評価された。
機会があれば見てみたいと思う。

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Author:黒 紅 茶
どこかの田舎っぺです。
ブログタイトルの“Of”は
飾りです。偉い人にはそれが
分からないのです(苦笑)
詳しくは「はじめに」を
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