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「戦争のはらわた」

久しぶりのブログ更新。
今回はサム・ペキンパー監督作品の「戦争のはらわた」
この映画を見るのは6、7年ぶりになる当ブログの管理人、黒紅茶。



「○○のはらわた」
というタイトルをみると、(映画好きの人なら?)ゾンビ映画やホラーを
連想するかもしれないが、ここで紹介する作品はれっきとした戦争映画である。


しかも、

ドイツ軍を主役にした映画である。


さて、具体的な紹介はあらすじに触れたあとで述べるとする。
では、あらすじ↓↓↓




あらすじ:

第二次世界大戦、戦いの舞台は東部戦線。ソ連侵攻が失敗したドイツは連敗を
繰り返し、徐々に追い詰められていた。激戦区であるタマン半島にプロイセン貴族である
シュトランスキー大尉が志願し着任してきたことから物語ははじまる。
貴族出身のシュトランスキーは出世欲の塊で、名声のために鉄十字勲章を欲していた。
そんな彼は、古参の小隊長で鉄十字勲章所有者であるシュタイナー軍曹と対立する。
部隊の指揮官であるブラント大佐やその副官であるキーゼル大尉の命を救ったことから
厚い信任を得ていたシュタイナーは、ソ連軍少年兵の捕虜の扱いや、行方不明者を捜索しない
まま退却したこと、昇進を推薦されたにもかかわらず好意を持たなかったことなどから
シュトランスキーの反感を買う事になる。

戦いの中でもお互いの信頼関係を深めあうシュタイナーの小隊。シュタイナーは
捕えた少年兵を敵陣に帰そうとする。だが、少年兵は味方であるはずのソ連兵によって
射殺されてしまう。それと時を同じくして、ソ連軍がドイツ軍の拠点を攻撃する。
戦線を任されていたはずのシュトランスキーは地下壕にこもったままで、地上では
シュタイナーや彼の友人であるマイヤー少尉らが奮戦していた。だが、敵の攻撃で
マイヤー少尉は戦死。さらにシュタイナーも攻撃で負傷してしまう。

シュタイナーは脳しんとうが原因で病院送りとなる。そこで彼は病院の看護婦と
関係を持つも、看護婦の反対を無視する形で、仲間が待つ戦線へと復帰する。

上層部に鉄十字勲章を申請しようとするシュトランスキーは、シュタイナーにその推薦を
願うも、拒む。一方、シュトランスキーに敵意を抱くブラント大佐は、シュトランスキーを
処分するためにシュタイナーの証言を求めるも、シュタイナーはこれも拒否する。
彼は鉄十字勲章に執着する人間や上層部に強い敵意を持っていたのだ。

上層部からの命令で、ドイツ軍は後退をすることとなった。ブラントはシュトランスキーに
その旨を通達するが、シュタイナーを疎ましく思っていたシュトランスキーは、シュタイナーの
小隊には伝えず、置き去りにしてしまう。そうとも知らないシュタイナーの小隊は孤軍奮闘を
繰り広げながら味方の中隊がいる地点へと後退していく。
シュタイナーの小隊はソ連軍がいる小屋を襲撃する。だが、なんとそこにいたのは全て
女性兵士であった。小隊は女性兵士から制服を奪うも、最年少のディーツ二等兵が殺され、
女性に乱暴を働こうとしたナチ党からの志願兵ツォルは性器を噛みちぎられてしまう。
シュタイナーはツォルを小屋に残して、中隊のいる場所へと急ぐ。ツォルはソ連の女性兵士らに
よってなぶり殺しとなった。

ドイツ軍のいる最前線へと戻ったシュタイナーの小隊は、誤射されないために暗号文を
部隊に送るが、シュトランスキーの部下は味方であるはずのシュタイナーらに発砲をする。
小隊の兵士は、シュタイナーと二人の部下を残して死んでしまう。激昂したシュタイナーは
シュトランスキーの部下を射殺し、決着をつけるためにシュトランスキーの元へと急ぐ。

最前線の司令部。シュトランスキーはパリへの異動が決まっていた。
ドイツの将来を悲観したブラント大佐は、副官であるキーゼル大尉に戦後のドイツを託すため、
彼を戦線から逃がし、自身は機関銃を持ってソ連兵と戦う。そんな大佐を尻目に、
シュトランスキーは逃げようとしていた。そこへあらわれたシュタイナー。

シュタイナーはシュトランスキーに復讐を行わず、代わりに機関銃を渡す。
覚悟を決めたシュトランスキーは機関銃を手に、シュタイナーとともにソ連兵に攻撃する。
軍人であるにもかかわらず、弾切れになった機関銃を再装填(リロード)できない
シュトランスキーをみたシュタイナーは笑う……。











上司と部下の対立という構図じたいは珍しいものではない。
だが、本作はそれまでの戦争映画の歴史を塗り替えたということで、またドイツ軍を
主役にしたという点から見ても非常に珍しい映画である。



ということで、まずは外観から触れたい。



物語は第二次世界大戦中の東部戦線を舞台としている。
ドイツ軍は最初、その軍事力によってヨーロッパ諸国を次々と蹂躙し、大国であった
ソ連を脅かそうとしていた。しかし、ソ連侵攻(バルバロッサ作戦)失敗によって
大きな損失を受け、以後ドイツは連敗を重ねて行く。



その要因は、ひとつはソ連侵攻にかなりの力を注いだことである。
人的資源や物資を多く損失したこと、さらにはじめての「大きな敗北」によって
精神的な打撃を受けたことが、連敗のひとつのきっかけである。また、その一方で
イギリスやアメリカなどの連合国が対ドイツへと動いたことも大きい。


ちなみに最初のオープニング場面の記録映像は、
ナチス台頭からソ連侵攻失敗までのダイジェスト映像である。





その東部戦線へやってきたシュトランスキーは、鉄十字勲章を欲しがっていた。
そして、その執着心がシュタイナーの部下を死に至らしめてしまう。

鉄十字勲章とは(その当時の)ドイツ軍人が手にする最高の名誉であり、
その授与には階級などは関係なかった。戦いでの功績がすべてなのである。
軍曹(序盤は伍長)という階級にも関わらずシュタイナーにいくつかの自由が
あったのは、彼が身につけている勲章によるものである。


では、なぜ、シュトランスキーはそれに執着したのか。

第一次世界大戦前まで、ドイツは皇帝が君臨するドイツ帝国(プロイセン)であった。
世界史でも有名な宰相ビスマルクが支えた国といえば分かりやすいだろう。
だが、第一次世界大戦での敗北によって帝国は崩壊し、ワイマール共和国となる。
このことによって、これまで特権階級であった貴族は没落してしまう。それは
ヒトラー率いるナチスの台頭とともに加速していく。



シュトランスキーはプロイセン貴族の出とはいうが、その実情は没落する身なのだ。
ゆえに彼は家の名誉のために鉄十字勲章を欲したわけである。


そして、庶民であるにも関わらず名誉ある勲章をもつシュタイナーに対し嫉妬を、
憎悪の念を抱いていたのである。




この三つの外観ともいうべきキーワードを見るだけでも、
本作がもつ政治的・歴史的な深みは分かると思う。






さて、次に――それまでの戦争映画との差異についておおまかに触れたい。

「硫黄島の砂」「バルジ大作戦」「西部戦線異状なし」
「パットン大戦車軍団」「史上最大の作戦」「地上より永遠に」
「戦場にかける橋」「大脱走」「ナバロンの要塞」

(私が思いついたかぎりだが、)本作が撮られる以前にもこれだけの戦争映画が
つくられてきた。だが、それらの多くは連合国軍を主役にした映画が多く、
現代の戦争映画のような反戦色よりも、活劇としての戦争映画、
プロパガンダとしての戦争映画であった。
(ただし、「西部戦線異状なし」はドイツを主役にしているが……例外中の例外である)


日本、ドイツ、イタリアでも戦争映画はつくられたが、そのほとんどは
自国の戦争を「悪しきもの」として捉え、反戦色濃いものばかりである。
これは上記の三国が敗戦国であることも起因するだろう。

一方、多くの戦争映画がつくられたアメリカにとって、第二次世界大戦および太平洋戦争は
正義の戦争であった。ゆえに、その時代を舞台とした映画では必然的に、
連合国軍側は主役であり且つ正義に位置し、ドイツや日本・イタリアは残虐非道な悪であった。

ドイツに関しては、戦争責任に関する追及が非常に強く、
「我が闘争」などのナチスを賛美する書籍・作品は禁書となり、
ドイツ軍のトレードマークであったハーケンクロイツは禁止となった。

……つまり、対外的にも国内的にも、ナチスやドイツ軍はマイナスイメージの塊であった。


にもかかわらず、本作ではそんな塊――戦争当時、悪の枢軸であった
ドイツ軍が主役に据えられているのだ。

本作が作られたのは1977年。第二次世界大戦終了から30年ちょっとしか経過していない
なかでの登場である。

それまでの“ドイツ軍=悪”という構図を塗り替えたという点で、本作は
異色である。

次々と犬死にしていく兵士たちや、「蝶々」の音楽をバックとした残虐な戦争シーンは
当時の主流ともいえるアメリカン・ニューシネマの手法というべきものであろう。


過剰なまでの残虐描写というのも、それまでの戦争映画ではほとんど描かれなかった要素である。
「プライベート・ライアン」や「イングロリアス・バスターズ」におけるゴア描写の先祖なのだ。

スローモーションを多用した戦闘シーン、カット割り。
ドキュメンタリー映像を彷彿させる主観カメラによる撮影など。

それらは斬新な手法であったようである。今では珍しくないが、本作があったからこその
手法なのである。











アメリカ人によるドイツ映画――それが「戦争のはらわた」である。

救いのない物語と過剰なまでの残酷描写は戦争への皮肉であろうと思う。
前述したとは思うが、本作は反戦映画としても大いに見ることが可能な作品である。
登場人物の多くは戦争という現象によって精神的に疲弊している。だが、彼らを
救済する手立ては死以外にはない。物語終盤でブラント大佐は副官に未来を託すも、
大戦後のドイツがどのような歴史をたどったのかは社会の教科書に詳しい。

だが、反戦映画として見ることができる一方で、人間自身への皮肉を描いた作品ともいえる。

武器の扱い方を知らない人間が行う戦争によって疲弊していく国。
この構図は、政治を知らない政治家が国を運営する某国と変わらないと思える。

また、戦争映画やアクション映画への批判としてよく登場する暴力の賛美。
戦争や暴力を批判するための暴力描写と捉えるのが一般的であろうが、
「(暴力こそが)それが人間の本質である」というメッセージのようにも取れるのだ。
暴力を批判する一方で、その暴力を潜在的に求める存在。
フロイトの著作でも、そのような指摘がされていた。




ラストシーン。
機関銃のリロードのやり方が分からないシュトランスキーを見て笑う
シュタイナーの姿はとても印象深い。このように色々と考えさせられる。



戦争はいけない




多くの人がそういう。

だが、そういうにもかかわらず、世界各地で殺し合いが起きている。
様々な理由で兵士が戦場で血を流している。


「G2」という雑誌のある特集号でも、社会学者の古市氏が言っていたが、

ダメ、ぜったい




というような言葉で解決できるほど、戦争は単純なものではないのだろう。










反戦映画とも、皮肉の映画とも捉えることのできる本作を、あなたはどう見るか???








ひさしぶりのレビューと言う事で長くなったが、以上♪

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飾りです。偉い人にはそれが
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詳しくは「はじめに」を
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