スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「山猫」

就活にて・・・またまた落ちた傷心の黒紅茶。
今日はその傷を癒すため(?)というか気分転換に地元の映画館に行った。

見た映画のタイトルは「山猫(イタリア語 完全復元版)」。
私の地元の映画館では『午前十時の映画祭』というイベントがやってて、
週ごとに昔の名作(映画ファンによって選ばれた)が上映されているのだ。

監督はネオ・レアリズモの巨匠として知られるルキーノ・ヴィスコンティ。
主演はアラン・ドロンとバート・ランカスター。
音楽担当はニーノ・ロータ。

豪華な面々によって作られたこの映画はなんと全編187分!





あらすじ:

舞台は分権国家から統一国家へと移り変わろうとするイタリア。
ガリバルディ率いる革命軍“赤シャツ隊”は各地を攻撃し、次々と
支配下に収めていった。それまで栄華をきわめていたイタリア貴族たちは、
ある者は国外に逃亡し、またある者は土地に残りその権力を奪われていった。
シチリアの名門貴族サリーナ家の長であるファリブリツィオ公爵は、一族の将来の
選択をせまられていた。彼は社会の変革の中で貴族が没落することを予見しながらも、
毅然とふるまっていた。その彼の甥であるタンクレディは、革命軍の義勇兵として
戦いに参加しようとしていた。若く、野心に燃えた若者を見送るサリーナ家一同。
戦いに参加したタンクレディは功績で大尉に昇進するが、戦闘で片目を負傷していた。
甥の帰還をよろこぶファブリツィオらは、田舎の別荘に旅行することにした。
戦火から免れたものの、シチリアの領民は時代の変化に不安な思いでいた。旅行は
その民の不安を拭い去るための視察も兼ねていたのだ。

ある日、司祭がファブリツィオに大事な話をするためにあらわれる。彼は公爵の
娘のコンセッタから相談を受けていた。なんとコンセッタは従兄であるタンクレディに
恋心を抱いていたのだ。娘が恋をする年頃になったことと、自分が老境に差し掛かったことを
悟ったファブリツィオは、娘ではタンクレディを支えることができないと考え、二人の
交際を望まなかった。彼は甥の将来のことを思い、大金を持つ女性と結婚させようと
決心する。その矢先に、タンクレディはアンジェリカという娘に一目ぼれをする。
アンジェリカは地元の有力者カロージェロ村長の一人娘で、美女として評判があった。
有力者の娘と結婚すればタンクレディの将来は安泰になると考えたファブリツィオ。
ところが、アンジェリカはその美貌とは裏腹に品性に欠けた女性で、その出自や家系も
決して良いものではなかった。一喜一憂するファブリツィオ。

イタリアの新しい軍隊の将校となったタンクレディは、アンジェリカに求婚する旨を
手紙を通じてファブリツィオに打ち明ける。複雑な心境のファブリツィオ。だが、彼以上に
コンセッタは失恋によって傷ついていた。彼女に恋をするタンクレディの友人は、コンセッタに
求愛を試みるも、コンセッタは決して応じようとはしなかった。逢引を重ねるタンクレディと
コンセッタ。二人の結婚は秒読み段階に入っていた。

田舎の別荘で休むファブリツィオのもとに新政府の使いの伯爵がやってくる。
新政府は、シチリアの領民の厚い人望を持ち思慮に富むファブリツィオを新政府の上院議員に
迎え入れようとしていた。ファブリツィオは新政府の考慮に感謝をあらわしながらも丁重に
断り、かわりに甥の義父となるカロージェロを推薦する。ファブリツィオは、自分が旧体制に
つく古い人間であり、貴族は時代とともに忘却されなければならない存在とし、新しい
世代の人間が政治を司るべきと考えていた。伯爵との別れの日、彼は自らを山猫に例え、
自分がいずれ死にゆく運命にあることを語った。

セリーナ家は、地元の有力貴族の招待を受けて舞踏会に参加する。タンクレディの未来の妻である
アンジェリカは、気品ある女性としてふるまって見せ、注目の的となった。一方のファブリツィオは
その舞踏会で自らの老いと孤独感、そして迫りくる死を悟った。アンジェリカの求めに応じて
ワルツを踊ってみせたが、その思いは強まるばかりであった。彼は舞踏会の中でイタリアの時代の
変化と、それに取り残される人間を目撃した。

日が変わり、舞踏会はお開きとなった。家族が馬車で帰るなか、ファブリツィオは別荘まで
歩いて帰る。外では、新政府の軍隊が反乱分子となった革命軍の兵士を銃殺刑に処していた……。












没落していく貴族の「滅ぶ」さまを描いた作品ということで、当初は
「ベルサイユのばら」的な物語展開を期待していたが、そういうものではなかった。

物語は最初のほうこそ迫力ある戦闘シーンなどあるが、全体的に地味な展開であり、
人によってはかなり退屈するかもしれない。
アクション映画やロマンスものが好きな
人間にはおすすめできない。だが、重厚な人間ドラマを好む人にはぜひ薦めたい!
(映画館には二十人近くいたが、そのうち数人が鼾をかいて眠っていた! むかつく!)


『午前十時の映画祭』の公式サイトの開設によると、映画の後半部の舞踏会にいる
貴族のほとんどが、ホンモノのイタリア貴族であるそうだ。また、リアリズムを徹底するために
照明をつかわず自然の光を利用し、小道具(例えばハンカチ)などの細かなものまで当時の
リアルさを追求したそうだ。




さて、では感想めいたものに入りたい。





物語はファブリツィオを主軸に動くが、そのまわりの人間模様も面白い。
タンクレディ、コンセッタ、アンジェリカの恋。
田舎(パレルモか?)の有力者や貴族たちが時折みせる狡猾そうな表情。



そして、変転する時代。
赤シャツ隊に所属していたタンクレディが青色の将校服を着ることの意味は、
例えて言うなら――東大闘争の学生らが何食わぬ顔でキャンパスで戻るようなものか。

時代が変わろうとしているにもかかわらず古き栄華を楽しむ貴族を見つめる
ファブリツィオの目の物悲しさはとても印象的である。


彼は後半でとてもいい台詞をいくつも言っていた。
その全部は拾えなかったが、DVDで見る機会があればぜひ記憶にとどめておきたい。





さて、ウィキや高校の歴史教科書等を参考にし、本作の物語の時代状況を
少し考察してみたい。




中世(つまりはローマ帝国崩壊)以降、イタリアは日本でいう戦国時代・群雄割拠のときを
歩んでいた。そのなかで、国内ではルネサンスが、そして諸国では宗教改革や政治体制の
変革が起きていた。その最たる例がフランス革命とナポレオンの台頭である。このふたつの
出来事はイタリアの人々に大きな影響をあたえた。

イタリアの若者や知識階級は政治結社を次々と立ち上げ、統一運動を起こした。
そしてイタリア全土に共和制を敷こうとするが、統一のもくろみは一度失敗する。
その後も各地で戦争がおきるが、全土統一に向けての機運は徐々に高まっていった。


世界史の教科書でもたびたび登場するガリバルディの名は、統一運動の中期と
呼べる頃合いに出始めた。統一のための革命運動に従事してきた彼は、市民を導入した
革命軍(高杉晋作の「奇兵隊」といったら想像しやすいか?)を結成、強大な勢力を
つくりあげ、サルデーニャ王国(のちのイタリア王国の前身)の尖兵として各地で
活躍し勝利をおさめる。サルデーニャ王国を中心とした統一王国イタリアが誕生。


これによって各地での戦乱も徐々に収束する。それは新政府による権力闘争の幕開けでも
あった。新政府によるイタリア国軍の結成と革命軍の解散。そのなかで、新政府に
不満を持つ者が多く出始めた。ガリバルディは統一後も軍人として戦いに参加するが、
新政府のなかにはガリバルディを危険視する者も存在し、彼による義勇軍の立場は
危ないところにあった。




これが、映画の時代状況の概略である。









「革命」や「改革」という言葉に対し、私たちの多くは、何か新しい変化が起き、
世の中が良くなりそう……というようなイメージを抱きがちであるが、変化によって
出てくるものばかりに目を向け、それによって失われるものをよく見逃す。



虐殺される市民、市民によって吊るしあげられる貴族、母親とおぼしき女性の亡骸を
前に立ち尽くす幼い少女……。

映画の最初にある戦闘シーンは、「革命」や「改革」といった言葉がもつ
別の面を如実に表しているとみる。


そういう危険な状況が外界にあるにもかかわらず、貴族たちは舞踏会を開き、
豪華絢爛の時を歩んでいる。


この対比、あるいはコントラストというべきだろうか――。



バート・ランカスター演じるファブリツィオは終始達観した人物として
時代の変化を眺めているが、彼の存在は切ないものだ。彼は戦うべき爪や牙を
失った山猫である。それゆえに、彼は無力なのだ。できることは、ただ
ガラパゴス化する貴族をもの悲しく見つめるだけ。そして、その気分をまぎらわすために
ひとりで歩いて帰ることだった。

映画のラストシーン。
ファブリツィオは暗い路地を歩き、消えていくが、あれは彼の生命の終わりのみならず、
貴族に迫りくる運命をも示唆しているのではないだろうか。
だが、それは“滅びの美学”というものではない。プライドや歴史性を捨ててまで
のうのうと生き残るだろう貴族たちへの絶望なのである。




それと対照的(もしかすれば象徴かもしれない)といえるのがタンクレディだ。
アラン・ドロンは、その演技も良いが、ルックスも美男子というにふさわしい。
彼は新しい時代の人間であるが、それはそれまでの貴族がもっていた良い部分の喪失と
いえるかもしれない。ドロン演じるタンクレディはファブリツィオに期待を
かけられている息子以上の存在である。だが、彼はその期待を裏切ることになる。
だがそれはタンクレディの責任ではなく、時代性として片付けられる。

そして、その時代性こそ、貴族が歩んだ歴史とその終焉なのである。
赤シャツから青い軍服への変遷はそのメタファーか。









最後に、

ニーノ・ロータ作曲による音楽は「ゴッドファーザー」以上の楽曲ではないか、と
いうのが私の感想だ。あと、若い女優さんたちが美人だらけだったのもグッドかな。。。













あいかわらず、めちゃくちゃな乱文だが…とりあえずここまで。
とりあえずナーバスな感情から解放されてよかったかな(苦笑)

ブログランキング・にほんブログ村へ

(↑)清き一票と温かいコメントをください!!!
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

Secret

プロフィール

黒 紅 茶

Author:黒 紅 茶
どこかの田舎っぺです。
ブログタイトルの“Of”は
飾りです。偉い人にはそれが
分からないのです(苦笑)
詳しくは「はじめに」を
読んでくださいな。

↓↓ポチッとな↓↓
QRコード
QR
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
映画
318位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
レビュー
144位
アクセスランキングを見る>>
最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
お気に入りリンク集
Web page translation
検索フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。