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「華氏451」

「華氏451」を見た。
原作はレイ・ブラッドベリ、監督・脚本をフランソワ・トリュフォー、
音楽はヒッチコック作品の劇伴を数多く手掛けてきたバーナード・ハーマン。
この映画のタイトルはあるものを燃やす温度から来ているらしい。では、
その“あるもの”とは何か……作品紹介に入りたい。



あらすじ:

近未来。
本の所有や読書が禁止された社会ではテレビとラジオが娯楽であった。
かつては火を消すことが職務であった消防士は、この近未来の社会では
“本を焼却すること”がその職務となっていた。映画の主人公は
その消防士のひとり、モンターグである。モンターグにはリンダという妻がいた。
だが彼女との結婚生活は冷めていた。テレビが生活の楽しみであるリンダは、
夫といつ出会い結婚したのかさえ分からないほど記憶力が乏しかった。
あるとき、モンターグは消防署の隊長から近日中に昇進が言い渡されると
告げられる。妻のリンダはテレビがもう一台買えることを喜ぶが、モンターグの
態度はどことなく冷やかだった。そんな彼はモノレールのなかでクラリスという
若い見習い教師の女性と出会う。近所に住む彼女は伯父と二人暮らしで、以前から
モンターグに興味を持っていたという。モンターグはクラリスのなかに他の人間とは
違う何かを見出す。やがてモンターグは魔がさしたのか、法律で禁止されていた読書を
はじめるようになる。

読書を始めたことで自分の職業や社会秩序に疑問を抱くようになったモンターグ。
ほどなくして彼の読書は妻であるリンダに知られてしまうが、モンターグはかまうことなく
読書を続ける。そんなモンターグの前に再びクラリスがあらわれる。なんと彼女は学校を
クビにされたという。クラリスは学校に置いている荷物を引き取るためにモンターグに
同行を頼む。モンターグは職場に嘘をつき、クラリスに同行する。生徒と他の教師たちに
避けられていることを知ったクラリスは悲しみのあまり嗚咽を漏らす。そんな彼女を
なぐさめながら、モンターグはクラリスに読書を始めたことを告白する。

モンターグの部隊はある老婦人の家を襲撃する。そこは“秘密図書館”と呼ばれる、
膨大な本の貯蔵庫であった。老婦人が退去を拒む中、隊員たちは本の焼却処分を準備する。
老婦人はマッチで自ら本に火をつけ、本とともに自殺する道を選ぶ。その行動にモンターグは
衝撃をおぼえる。仕事を終え家に帰宅したモンターグは、妻や妻の友人が呑気にテレビを
見ていることに苛立ちを覚え、彼女らの前で本の音読をはじめる。友人たちは出て行き、
モンターグの妻であるリンダは夫の行動に怒る。だが、モンターグは彼女に取り合わない。
そんな彼は夜、“秘密図書館”でクラリスが焼身自殺する夢を見てうなされる。

翌日。モンターグは隣人から、クラリスの家が襲撃されたことを知る。心配になった
モンターグは消防署の隊長室に侵入するが、逮捕者リストからクラリスの写真は見つからなかった。
そこへ不在だった隊長があらわれる。隊長によるとクラリスは逃亡中であるという。だが、部屋に
侵入したことによってモンターグの立場はしだいに危うくなっていく。モンターグは町でクラリスと
接触することに成功する。彼女の家に案内されたモンターグは、そこで秘密書類を処分する。
クラリスは郊外にある秘密の場所に一緒に逃げようとモンターグを誘うが、これまで消防士の職務に
従事し、数多くの本を焼却してきたモンターグは誘いを断る。

モンターグは隊長に辞職を願い出る。最後の仕事を行うことになったモンターグと
部隊が辿り着いた場所は、なんと彼の家だった。モンターグの妻であるリンダは夫との生活に
耐えられなくなり、彼が本を隠し持っていることを消防署に密告したのだ。自らの手で本を
焼かざるを得なくなったモンターグ。彼の感情は爆発し、火炎放射器を隊長に向けて放つ。
モンターグは殺人罪で指名手配の身となる。

逃亡者となったモンターグは、クラリスが言っていた秘密の場所へと向かう。
そこに住む人々は“本の人々”と呼ばれていた。彼らは逮捕と迫害を免れた人々で、
本が焼かれてもいいように、各自がひとつの本の内容を丸暗記していたのだ。
彼はそこでクラリスと再会する。そして他の人間と同じように、
モンターグも本を丸暗記していく……。








物語の雰囲気はどことなく、ジョージ・オーウェルの「1984年」を彷彿させる。
SF映画と聞いて借りて見たのだが、田園調布の風景はSFとはかけ離れたものである。
だが、何度も強調されるテレビの受信アンテナや台詞のない漫画雑誌、そして本を燃やす
消防隊員など、それらは明らかにSF的なものといえる――少なくとも、今は存在しない。

「1984年」のように全体主義による思想統制などのディストピアを描いているように
思えるが、ウィキによると原作者であるブラッドベリは、テレビによって文化が破壊される
ことを憂いて書いたそうな……。その憂いはある意味、現実化している気もする



とても思想的な映画であるが、カメラワークや編集の妙、そしてスリル感ある
音楽について注目せずにはいられない。

テロップなきタイトルシーンにおける色彩の変化、随所で使われるスローモーション、
花のつぼみのように縮んでいく本の紙の燃えゆくさま……それらはまさに映像美と
いうにふさわしい気がする。ヌーヴェルバーグの監督ゆえのこだわりなのだろか?




はじめのうちは“変な人”というイメージしか持たない消防隊員たちも、時間の経過とともに
恐怖と狂気の存在へと変わっていく。それは物語展開のみならず、映像の編集による
イメージの植え付けによるものだろう。



そして音楽。
アルフレッド・ヒッチコックのファンとしても知られるトリュフォー。恐らくそれが
彼、バーナード・ハーマンの起用に繋がったのだろう。消防隊員の出動場面や本が燃える
場面で流れる音楽は、「サイコ」や「北北西に距離をとれ」などでも馴染みのある旋律。
物語が物語だけにサスペンスな曲調が多いが、モンターグがようやく辿り着いた秘密の場所で
流れる音楽はとても穏やかな響きの音楽だ。



・・・だが、この音楽が流れるラストシーンは、私にはとても絶望的に思える。
“本の人々”が暮らす秘密の場所は、いっけん主人公らの安住の地に見える。
けれども、そこで暮らす住人たちの行為は、実は消防署(つまりはその社会)の人間と
あまり変わらないのだ。


本の所有及び読書を禁じる社会。消防士による焚書

そんな社会から逃げてきた“本の人々”は、
本が燃やされてもいいように本の内容を丸暗記し、さらに自ら本を燃やしている。



映画のラストで本を音読し覚えているモンターグも、最終的にはその本を
燃やしてしまうのだ。彼は本を燃やされまいとして隠し逃げたのではないのか???


そう。モンターグにとって、“本の人々”が暮らす場所は決して
安住の地(ユートピア)ではない。そこすらもディストピアなのだ。けれども、彼も
そこの住人たちも、自らの立ち位置に気がつかない。

彼らは本を丸暗記し、暗唱できるようになればそれで問題ないと思っている。
だが、人間の記憶力というものには限界がある。かつて、本がない時代は口承によって
物語が語り継がれていた。その結果、オリジナルの物語はその口承の途中でオリジナルの要素を
失っていったとされる。口承というのはとても曖昧なものであり、また危険でもあるのだ。
口承(つまり口承文芸)が廃れ、本が普及するようになったことを見ればわかる。私たちは
口承によって物語を語り継ぐよりも、文字を壁版や紙に書き記した方が良いことを知っているのだ。

彼ら“本の人々”の行動というのは時代の逆光でしかない。彼らがやるべきことは体制への
反逆であるべきなのに、彼らは遠まわしに体制に協力しているのだ。


だから、私には、あのラストはとても暗い。
老人が少年に語り継ぎ、それを終えたあとでひっそりと息を引き取るあの場面が・・・。

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Author:黒 紅 茶
どこかの田舎っぺです。
ブログタイトルの“Of”は
飾りです。偉い人にはそれが
分からないのです(苦笑)
詳しくは「はじめに」を
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